アースデイ東京など各地のアースデイや、
チェルノブイリ原発事故後の1988年から、ノーニュークス・ワンラブを掲げて、12年ごとに大規模ないのちの祭りが開催されてきました。そのいのちの祭りが、来月8月29日から9月1日まで、長野県の鹿島槍スキー場で開催されます。NPO法人世界ヒバクシャ展は、ジュンとネネで一世を風靡し、その後様々な活動を展開してきた歌手で岡山県浅口市の市議の早苗ネネさんを招いて、下記の「Love & Action 宇宙人会議~脱既成概念~
」を開催します。
プログラムなど詳細はこちら。
旧日銀広島支店での写真展「広島、長崎だけじゃない 世界のヒバクシャ」は、4月26日から5月8日までの開催期間中に、広島の方々やゴールデンウィークに広島を訪れた方々約3500名にご来場いただきました。特別展示の「棄てられた被爆者」(撮影・伊藤孝司)の写真を含めた約130枚の写真を、一枚一枚の写真説明を読みながら熱心に見てくださった方も多く、皆様の関心の高さを感じました。
また、共催の一般財団法人MIZUNOTEの企画として期間中に行われた「祈りの唄を捧げよう~広がりと心の深淵の唄」では、亡くなった方々への鎮魂と平和への祈りを込めて、各地から参加したアーティストの方々や広島合唱団の素晴らしい演奏やパフォーマンスが披露されました。平和への思いを共有できた素晴らしいひと時でした。
今回の写真展の協力団体、ANT-Hiroshimaの皆さんには、設営から運営、撤収まで手伝っていただき、とても助かりました。同じく協力団体の広島地下街開発株式会社には、地下街の紙屋町シャレオの中心にポスターをまとめて貼っていただくなど、広報にご協力いただきました。
ご協賛いただいたグリーンピープルズパワー株式会社やご寄付いただいた方々、報道いただいたメディアの方々、旧日銀広島支店の警備員さんたちをはじめとする多くの方々のご支援・ご協力で、今回の写真展はとても大きな成果を上げられました。
すべての皆様に心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
今回の写真展を通じて、原爆が投下された広島でも、世界のヒバクシャのことは意外と知られていないことを実感しました。平和教育でも、広島、長崎のことは学んでも世界のヒバクシャのことを学ぶことはあまりないことを知り、改めて「世界のヒバクシャ」を伝えることの大切さを感じました。
これを機に、世界ヒバクシャ展の写真をさらに生かすための取り組みを進めていきたいと思います。
皆様、引き続きよろしくお願いいたします。
2024年のゴールデンウィークに、改修されたばかりの旧日銀広島支店で、写真展「広島、長崎だけじゃない 世界のヒバクシャ」を開催します。
世界ヒバクシャ展の120点の写真すべてを展示するほか、一般社団法人MIZUNOTEとの共催で、祈りや音楽、ダンスなどのイベントも開催します。
ゴールデンウィークの広島では、全国的にも有名なフラワーフェスティバルも開催されます。
ぜひ広島においでいただき、ご来場ください。
詳細は、こちら。
◎ご寄付のお願い
このイベントの開催費用は、皆様のご寄付でまかないます。
広島での初めての写真展を成功させるために、ぜひご協力ください。
よろしくお願いいたします。
◆ご寄付のお振込先
郵便振替口座
00170-5-127199
NPO法人世界ヒバクシャ展
三井住友銀行都立大学駅前支店
普通1731126
特定非営利活動法人世界ヒバクシャ展
被爆した建物である旧日銀広島支店で、2024年4月26日(金)〜5月7日(火)に世界ヒバクシャ展の写真展「広島、長崎だけじゃない 世界のヒバクシャ」を開催することが決定しました。
広島での世界ヒバクシャ展の写真展開催は初めてです。
広島、長崎だけでなく、世界中に無数のヒバクシャがいるという事実を、広島、長崎の方々の力も借りて、ぜひ世界に発信していきたいと思います。
皆様、広島での写真展を応援していただきますよう、お願いいたします。
NPO法人世界ヒバクシャ展は、10月からFM八ヶ岳で「いのちのハーモニー」という番組を持ち、「いのち」の視点から様々な発信を始めています。
一方、2024年には、チェルノブイリ原発事故後、12年ごとに開催されてきたいのちの祭りが来年開催されます。
そこで、この機会を活かして、「いのち」をテーマに、新しい文明の創造に向けて、日本や世界の市民が大きくつながり、アクションを起こす連続企画「Love & Action いのちのハーモニーを奏でよう!」を実施しようと考えています。
https://docs.google.com/document/d/1aydLHgd7K1Ur7QwStkNO1DQF2PphH5nHAZfrC97A5RM/edit
企画に関心をお持ちの方は、ぜひご連絡ください。
hibakushaten@gmail.com(安在)
北杜市での写真展「広島、長崎だけじゃない 世界のヒバクシャ」を8月17日(木)まで延長します。
台風7号の影響で最終日とその前日に山梨県内が暴風雨となる可能性が予想されているため、お盆期間中においでいただけなくなった方にもご覧いただくためです。
16日(水)は10時〜17時、17日は12時〜17時にオープンします。ぜひおいでください。
写真展の詳細はこちら。
私たちは、NPO法人世界ヒバクシャ展の新拠点として、北杜市下黒澤の古民家を寄贈していただき、昨年と今年、2年続けて世界ヒバクシャ展の写真展を開催してきました。
築107年の立派な建物ですが、あちこちの修理が必要になっています。
そこで、写真展だけでなく、様々なプログラムを通じて、地域の人たちや全国の人たちが、出会い学び合うことができる、地域コミュニティの交流の場に育てていこうと計画しています。
改修には数百万円の費用がかかる見込みです。
ぜひご寄付で支えていただきますようお願いいたします。
一口10,000円〜
ご寄付のお振込先
郵便振替口座 00170-5-127199
NPO法人世界ヒバクシャ展
世界のヒバクシャの写真展を、山梨県北杜市の古民家で、昨年に続いて8月15日まで開催しています。今年は、スペースの都合で昨年公開できなかった写真20点以上を含む105点の写真を公開しています。ヒバクシャや核汚染の現場の写真を通じて、核や被ばくについて考えていただければと思います。
詳細は、こちら。
2022年のNPO法人設立20周年を機に、「広島、長崎だけじゃない」というメッセージを前面に出して、国内や世界各地での写真展開催を目指していきます。
新しい資料を作成しましたので、ご覧ください。
(最初のページから)
世界ヒバクシャ展が目指すこと
戦後から今日まで、原子爆弾によって被爆した、広島、長崎の被爆者たちの体験·証言こ そ、核兵器を使用させない抑止力となってきました。
被爆者の高齢化で、証言を生で伝え続けることが難しくなっています。しかし、多くの 日本人は、修学旅行などで広島、長崎を訪れ、被爆体験に触れています。戦争で再び核兵 器が使用されようとしている今、被爆者の思いを引き継いで、行動を起こす時ではないで しょうか。
NPO法人世界ヒバクシャ展は、原爆だけでなく、核実験、原発事故、ウラン鉱山、劣化 ウラン弾などによる世界中の「ヒバクシャ」を写真で伝えてきました。6人の日本人フォ トジャーナリストが撮り続けた写真には、核のない平和で安心安全な世界を願うヒバク シャの思いが滲み出ています。2002年の設立以来、国内外で開催してきた写真展は、多く の来場者の共感を呼び、「自分たちもできることをしたい」といった、核の問題を自分ご ととする感想がたくさん残されました。
私たちは、設立20周年を機に体制を強化し、貴重な歴史の証言として、この写真を世界 中の人々に届け、教育などに活用することを目指していきます。
福島第一原発事故で、世界に放射性物質を撒き散らしてしまったという事実も踏まえれ ば、世界中のヒバクシャや核被害の真実を伝えることは、日本の責任と思うのです。
北杜市下黒澤の古民家で開催中の世界ヒバクシャ展の紹介が、地元の山梨日日新聞、毎日新聞、八ヶ岳ジャーナル、テレビ山梨などのほか、共同通信の配信によって静岡新聞など各地の新聞にも紹介されました。
FM八ヶ岳のトーク番組でも、9月15日(木)、22日(木)に紹介される予定です。
主催 NPO法人世界ヒバクシャ展
日時 7月30日(土)~9月25日(日)
11時~17時
月曜~水曜は休み
(8月9日、15日、9月21日は開場)
場所 NPO法人世界ヒバクシャ展事務所
(愛称検討中)
北杜市高根町下黒澤3160
中央本線日野春駅からタクシーで約5分
中央道須玉インターから約10分
※会場への行き方は、下記ページで写真付きで説明しています。
https://www.no-more-hibakusha.net/日本語/アクセス/
※駐車スペースに限りがあります。なるべくお誘い合わせのうえ、ご来場ください。
内容 6人の日本人写真家が撮影した、原爆、核実験、原発事故、劣化ウラン弾、ウラン鉱山、放射性廃棄物などによるヒバクシャや核汚染の現場の写真を展示。
写真家のプロフィールや代表的な写真は、下記をご覧ください。(今回展示していない作品も含まれています。)
https://www.no-more-hibakusha.net/日本語/写真家のプロフィールと写真/
入場 無料
お問い合わせ先
080-3558-3369(安在)
080-3392-1110(森下)
ホームページ
https://www.no-more-hibakusha.net
開催趣旨
NPO法人世界ヒバクシャ展は、今年、設立20周年を迎えました。この間、「ヒバクシャの思いを世界へ」というメッセージを掲げ、6人の日本人写真家が撮影した、原爆、核実験、原発事故、劣化ウラン弾、ウラン鉱山などによるヒバクシャや核汚染の現場の写真による写真展や関連イベントを国内外で70回以上開催してきました。
20周年を機に、山梨県北杜市内に新しい拠点を開設し、平和で持続可能な社会づくりを目指す幅広いグループ・個人とつながり、世界ヒバクシャ展の写真を世界中に届けることを目指して、新たな活動を展開していきます。
ウクライナ侵攻で核使用が危惧される中、8月1日からは、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開催されます。今回の世界ヒバクシャ展は、この会議の直前から、9月21日のピースデーの直後まで開催します。
NPO法人世界ヒバクシャ展は、ロシアによる原発への攻撃や核使用の威嚇は、人類の生存への大きな脅威であると考えます。
そこで、私たちのシンボルとも言える写真を、世界で戦争反対の声を上げている皆さんに、自由に使っていただくことにしました。
『被爆者:冨永初子』『被爆者:藤原モトヨ』と題されたこれらの写真は、広島、長崎の被爆者の写真を半世紀近くにわたって撮り続け、昨年亡くなった写真家、森下一徹の作品です。森下一徹は、核のない世界への世論の盛り上がりを目指して、20年前に世界ヒバクシャ展を創設しました。
ご提供する写真は下記の2枚です。
写真①『被爆者:富永初子 1914年~2002年
瞳の中の斑点は、原爆白内障である。体内を、常に激痛が走る。それに耐えてきたために苦痛のあまり、左右の眉毛の位置がずれてしまった。1977年 広島市 江波 撮影・森下一徹』
写真②『被爆者:藤原モトヨ 1894~1989/95歳
モトヨさんは、広島の福屋デパート(爆心地から600メートル)の裏で建物疎開の作業中に被爆した。5歳の娘と17歳の息子は、ひと月後に次々と息を引き取った。それ以来、天涯孤独のまま、91歳で病に倒れるまで働き続けた。モトヨさんの手や腕の光ったところは、被爆によるケロイド。冬になると、ジクジク痛む。1977年 広島市 江波 撮影・森下一徹』
これらの写真と、「Stop attacks on nuclear power plants!(原発への攻撃中止を!)」「Don't use nuclear weapons! (核兵器を使わないで!)」「Don't threaten with nuclear weapons.(核を威嚇に利用しないで!)」「Peace in Ukraine!(ウクライナに平和を!)」などのメッセージを、デモのプラカードやSNSの投稿に使ってもらうことで、世界各国で強いメッセージを発信するのに貢献できるのではと考えました。
これらの写真は、ソ連邦60周年記念国際記録芸術写真コンテスト「人間と平和」で、平和と民族賞のグランプリを受賞した、一連の被爆者の写真の中の代表的な作品です。
ロシアの人々に評価された作品をこうした機会に使うことになってしまったのは、何かの間違いと思いたいですが、ロシアの人々の多くも決して戦争は望んでいないはずです。
私たちは、あらゆる人たちと、核の危機を乗り越え、ウクライナに平和が戻ることを目指したいと思います。
使用される場合には、下の写真をダウンロードしてください。
The photo exhibition "Not Only Hiroshima and Nagasaki: Hibakusha around the World" at the former Bank of Japan Hiroshima Branch, an A-bombed building, was visited by approximately 3,500 people from Hiroshima and those who visited Hiroshima during Golden Week during the exhibition period from April 26 to May 8, 2024.
We were impressed by the high level of interest shown by visitors, many of whom eagerly looked at the approximately 130 photos, including those of the special exhibit "Abandoned Hibakusha" (photo by Takashi Ito), while reading the explanations of each photo.
In addition, "Prayer Songs - Songs of the Expanse and the Abyss of the Heart," which was held during the period as a project of the co-sponsor, MIZUNOTE General Foundation, featured wonderful performances and music by artists and the Hiroshima Chorus who participated from various parts of the country, as a requiem for those who died and a prayer for peace. It was a wonderful time to share our thoughts and feelings for peace.
Through this photo exhibition, We realized that even in Hiroshima, where the atomic bomb was dropped, hibakusha around the world are surprisingly little known. We realized that even in peace education, people learn about Hiroshima and Nagasaki, but not so much about the Hibakusha around the world, and I felt once again the importance of conveying the message of "Hibakusha around the world".
We would like to take this opportunity to further promote our efforts to make the photos from the World Hibakusha Exhibition come to life.
Thank you all for your continued support.
We know that the Russian attack on nuclear power plants in Ukraine and nuclear threats are causing many of you to feel an unprecedented sense of urgency.
Although we, too, feel helpless, we have been thinking about what we can do as a non-profit organization, the World Hibakusha Exhibition, and have decided to provide you with a symbolic photographs.
These photographs, titled "Hibakusha: Hatsuko Tominaga" and "Hibakusha: Motoyo Fujiwara," are the work of Ittetsu Morishita, a photographer who took photographs of Hibakusha in Hiroshima and Nagasaki for nearly half a century and died last year. Ittetsu Morishita founded the World Hibakusha Exhibition 20 years ago with the aim of raising public opinion for a nuclear-free world.
The following two photographs are provided.
Photo 1: TOMINAGA Hatsuko
1914-2002/Hiroshima Hibakusha
The white specks in her eyes are atomic cataracts.
A sharp pain runs through her body constantly, causing her to distort her eyebrows.
(1977, Eba, Hiroshima MORISHITA Ittetsu)
Photo 2: FUJIWARA Motoyo
1894-1989/Hiroshima Hibakusha
When the atomic bomb was dropped on Hiroshima, Ms.FUJIWARA, who was helping to evacuate the city, was working near the Fukuya department store, 600 meters from the hypocenter.
Her five-year-old daughter and seventeen-year-old son died one month after the bombing. After that, she was alone and working hard, until becoming ill at the age of 91.
In this photo, you can see scars and burns on her arms and hands; they caused her much pain, especially in winter.
(1977, Hakushima, Hiroshima MORISHITA Ittetsu)
These photos, along with "Stop attacks on nuclear power plants!", "Don't use nuclear weapons!", "Don't threaten with nuclear weapons.", and "Peace in We thought that by having messages such as "Ukraine!" used together, we could contribute to sending a strong message around the world.
These photos are representative of a series of photos of A-bomb survivors that won the Grand Prix for the Peace and Nationality Award in the International Documentary Art Photo Contest "Humanity and Peace" to commemorate the 60th anniversary of the USSR.
I would like to think that it was some kind of mistake to use works that were appreciated by the Russian people on these occasions, but I am sure that many of the Russian people never wanted war either.
We, with all people, would like to overcome the nuclear crisis and see peace return to Ukraine.
If you wish to use them, please download the photos below.
We hope that these photos, which are filled with the thoughts and feelings of the Hibakusha, will be of some help to you.